もうひとつ、語らねばならないことがある。飯米用のお米を作っていて、稲作とはどういうことか感じたという話である。

まず、田植えという言葉のイメージである。田植えとは何月のことであろうか、僕は、5月の中旬〜下旬である。山形の飯田の話である。よくよく考えてみると、田植えの時期は北上するのである。時期は違えど、田植えが終わったという言葉の共感を得ることは出来るのだ。

次は、神頼みについてである。僕は稲作をしていて、7月に古い根を切って、穂をつけるためのあらたな活力を新しい根に託すという考えをなるほどなぁと感じた。この中干しの時期は、雨降るな、なのである。カラッカラに地面を乾かして地割れを作り、根を切り、新たな根を促すのだ。(私は道楽であり農家ではありません。根切りについては諸説あり、最新の農業事情を知った上での話ではない点ご了承下さい。)

8月に入ると、稲はぐぐっと成長し、穂をつけるために水を欲する。地域みんなが、水を欲する。山側から水はどんどん活用され、下流では水がこないこともある。雨降れ雨降れと願う。雨降らす神様の出番となる。

それから一ヶ月もすれば、収穫だ。僕は、天日干しを採用した。雨降るな、なのである。ふたたび雨降るなの神様の出番なのである。

米を作るために、たくさんの神様に願うのである。
雨降れの神様や、雨降るなの神様に…

作ってみてはじめてわかったのだ。神様に頼るということを。