写真をはじめたきっかけについて個展のような機会には「ずっと、絵を描きたかった。でも大学の美術部で才能ある仲間を見て方向転換。写真は、押せば写ると思った。ハハハ」こんなことを、よく言っております。

これは安直ですが事実であると同時に、ホントは「写真家は、描けないもどかしさの中で、いかに、描き出してきたかという大先輩方への畏敬の念を抱いたからにほかならず、そこに挑戦したいとおもってしまった」ということも同様に事実であります。

確か、大学一年生の頃、横浜美術館で、写真展?をやっていて友達と見に行きまして、マンレイの写真をいくつかみて、感じるものがあったのです。この頃は、第二外国語のフランス語では Boule de Suifを読んだり、表象文化論の授業や、渋谷・池袋・六本木を中心にオールナイトな単館上映で、とにかくフランスの文化に触れた時期だったんですね。このころ、有歩は、アルホですが、Aruhoが、Alfoにもなりました。1994年頃の話です。

その後、1995年にはフランスにしばらく滞在して、バスでナイフをつきつけられて、JPS(ジョンプレーヤースペシャル)を持って行かれたりしながらもマルセイユの警察署内でワインを飲んだり、パトカーでピザ屋に連れて行ってもらったり、ジュリエット・ビノシュが大好きだったこともあって、フランス愛は継続し今に至ります。映画では、「冷たく冷えた月/ Lune froid」パトリックブシテー、チャールズ・ブコウスキー原作、リュックベッソン監修がお気に入り。映像が僕の写真へのヒントになっていると思うことがあります。

つぎに、「写真」を意識したのは、義理の親父が急死したとき。部落で守ってきた沼(僕がいつも撮ってる沼です)で部落の方々に、いっせいに黙祷していただいたんですね。2010年のことです。それをぼーっとながめているときに、「この沼は代々このような瞬間を受け継いできたのか!、美しい、のこさなきゃ」と、感じたのです。それは勝手ながら使命感をともなっていたため、描きだそうとすればするほど、足りない点が明らかになったことが自分の為に良い経験となりました。美しい、ただ美しい、その共感を広げたいと必死に、撮影もしたし、機材もそろえていったのです。

2018年3月、ヒューストンのフォトレビューでスペシャリストと沢山の会話をするなかで、このテーマは、美しさの裏側のシーンとして、再構築し、環境問題として提起するというひとつの方向性が見えてきました。
Behind the beautiful.

小学校4年生のときに、北杜夫氏の文章と出会いユーモアが世界を平和にすると気付いて以降、一貫して、世の平和のためになにかできないか、考えてきたんです。文章書くなら、理系の知識は必要だとか。(北杜夫氏はぐーたらなんですが医者でしたし)とか、女性の視点をもたねばと共学でSpecialな学校に行こう!と決意したり、未来の資源原子力!そーだ、物理学科行こう!とか。食事を食べるみんなの幸せな顔を眺めれば食事こそ団欒、世の平和そのものと感じたり。

自由に生きて参りました。広く、いろーーーんな経験をしたいと生きてきました。
浅かったかも知れません。でも、それは、深く探求する道をさがすためのまわりみち。

くしくも、フィルムのの火がまたひとつ消えましたね。素敵な機材との出会い、それは、ながい、いいわけを、ともなって。